レッテルの鎖は環境に左右される。

皆様、ライフハックをのブログをご覧いただきありがとうございます。

本日は小学校時代について語りたいと思います。

前回のお話したように私の発達障害が発覚したのが、10歳の時でした。

授業中にクラスに入ることができず、他の生徒との揉めることが頻繁にあったため、学校の先生に勧められて自動相談所(以後、児相)に母が相談。

児相にて面談を重ね小児発達外来のある病院を紹介されました。

病院にて検査した結果、ADHDと経度学習障害と診断されました。

当時の症状としたは、じっとしていることができず、思い付きの行動をする多動傾向が強く周囲の人ともめることが多かったように思います。

生まれつき斜視もあり国語で音読をする際には頻繁に読み飛ばしてしまったりしていました。また、算数の授業では式などの暗記はできるのですが、文章問題が壊滅的にできなかったです。

上記のような状態で、普通学級の授業についていけず小学校3年生の時には支援学級に在籍することとなりました。

この頃より「ほかの皆とは違う人間」「普通の人にできることが自分にはできないんだ」という思いが湧いてきて、無意識に自身へレッテルを張る日々が続くようになりました。

そんな日々を送っている中で「どうせ普通のことができないなら頑張らなくてもいいや」と自暴自棄になることが多くなり、結果的に障害に甘え授業を受けなかったり気に入らない時には感情的に相手を傷つけることを繰り返していたのです。

そのため、一人孤立したしており、親自身が「学校なんか行かなくても生きていける」という考えだったこともあり不登校にもなりました。

こんな感じの悪循環にはまり、地獄と思っていた学生時代ですが良いこともありました。

それは、私のことを見限らずに熱心に指導してくれた先生方との出会いです。

特に不登校になったときに登下校を一緒にしてくれた先生やクラスに入れない私を個別に勉強を教えて下さった先生方には本当に感謝に感謝しています。

もちろん中には、障害をもってるからと邪険にする先生方にもお会いしました。

しかし、親からも「お前は障害があるから無理だろう」と言われていた私が、社会で自立した生き方をしなければいけないと思うきっかけも先生方に出会ったことで、いろんな知見を知ることができたからだと思っています。

私が良い先生方という人の中には学校の先生はもちろん、放課後ディサービスや児相でお世話になっていた方たちを含みます。(お世話になった理由は別の投稿でお話しする予定です)

つまり、いろんな支援機関や団体の中で思想の方の知見に触れる機会を得れたことは私にとって一番の教育になっていたのではないかと思います。

特に発達障害を抱えている人間は少なからず、心にレッテルという鎖で縛りつけることが多いと思います。その鎖をほどくカギは、自分の知らない知見を知り考え方の視野を広げることに私はあると思います。

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